傷つく人もいるんです


クハラの二次被害、というのを最近のテレビで知って、驚嘆している。
 セクハラを受けたと主張する相手が、そのことを相談してきたとき、その会話中でまたセクハラ事案が発生してしまうという、それがセクハラの二次被害だという。テレビでは「部長がセクハラしてくるんです……」的な相談を、女性社員が他の男性社員にしていて、それに対して男性社員が「そ、そうか……。まあそれだけ○○さんが魅力的ってことだよね、はは」と答えたら、それはもうアウトということだった。マジかよ、と思った。その場面で、それ以外にどう言えばいいというのか。
 正解は、完全にシステマティックに、当時の状況や、言われたこと、されたことの詳細を聞き出し、記録する、というものらしいのだけど、どうも無理がある気がする。
 話をしやすくするために、セクハラを受けた女性をA、セクハラしたとされる部長をB、その相談を受けた社員をCとする。もっとも、性的な話をしている際に、AとかBとかCとか、それだけでなんとなく卑猥な感じがする。俺がCさんだとしたら、じゃあ俺はセックスさんということになるね、はは、とAさんに言ったら、それはやっぱりセクハラになるのに違いない。まあセクハラなんだけど。
 でもセクハラってそもそもなによ、という話で、それは行為によるたしかな線引きがあるわけじゃなく、有名な例として、頭ぽんぽんというのがあるじゃないか。あれをされると女子はめっぽう嬉しいとされるが、ただしもちろんイケメンに限る、というあれである。じゃあここにイケメン社員としてDも参上させて、Aは、Dからの頭ぽんぽんは許す(どころか悦び、ショーツを濡らす)けれど、Bからのそれは「セクハラを受けました!」となるわけである。それが本当に厄介な部分だ。だってBは、自分のことがBだなんて思ってないんだから。Dだと思っているんだから。だから自分が頭ぽんぽんしてやると、Aは悦んでショーツを濡らすと思っている。だからやる。でも現実ではBはDじゃないので、Aはセクハラ事案だとCに相談することになる。一方DはDで、自分のことをDだと自覚しており、Aを悦ばせてショーツを濡らさしてやろうという信念のもと、頭ぽんぽんする。そうするとAはまんまと悦び、ショーツを濡らす。そしてAはCに向かって、またそれを話す。ただしそれはセクハラ相談ではなく、ノロケ話となる。ひどい話じゃないか。なにがひどいって、だって本当はCはAのことが好きなのだ。それだのにAはCのことを完全に性愛の対象から外している。だからセクハラの相談もするし、ショーツを濡らした話もする。その程度はもはや、嫌悪感という形で攻撃の矛先となるBよりも、さらに遠いのかもしれない。本当は、俺がいちばんお前のショーツを濡らしたいと思っているのに……。
 話が脇道に逸れた。脇道と言うか、パラレルワールドかもしれない。これは社内におけるセクハラの二次被害の話だった。いやだから、セクハラの相談を、信頼しているのかなんなのか知らないが、異性の社員ひとりを相手にこっそり行なう、というのがそもそも間違いと言うか、怪しいと思う。本当に困っていて救われたいと思っているのなら、そんなことはしないんじゃないか。もっとしかるべき行動に出るのではないか。それなのにこうしてふたりきりの状況でセクシャルなハラスメントの相談をしてくるということは、それっていうのはつまり、要するにそういうことなんじゃないか、Bによって傷つけられたデリケートな心の襞を、俺のフェザータッチで癒してほしいんじゃないの? そういうことだろ、という、どぶろっく的な発想が生まれてくる。と言うか、それしか生まれてこない。だとすればここにセクハラの二次被害の懸念は全くない。むしろセクハラという雨が降ったことで固まる地だけがある。固まるのは地だけではないだろう。固まればあとはこっちのもんだ。思いが通じ合ったAとCの間に、障害はなにもない。赴くままに心を通わせるふたりの姿を、遠くからBが眺めていた。「まったく、世話が焼けるふたりだぜ……」。ぶ、部長かっけぇ!
 話がどうしてもすぐにパラレルワールドに飛ぶ。僕の頭が作り出すそのパラレルワールドには、本当のセクハラというのはなくて、セクハピだけがあるんだと思う。こんな無邪気な僕にこの問題を語る資格はない。退散する。